社長の一言集

第86号 「危ぶめば道はなし」

2013/07/31
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 「危ぶめば道はなし」
                                                       2013年86号
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参院選2013は、歴史的な自民圧勝となりました。
次の注目は、9月のIOCによる2020年オリンピックの開催都市の決定です。
東京になるのでしょうか。

1964年、私が小学生の時、東京オリンピックをTVで見た記憶が残っています。
日本全体がオリンピック一色でした。学校でも授業を中断し、日本人選手が
活躍している競技をTVで見せてくれました。
東京オリンピックのテーマソング「東京五輪音頭」は、戦後の大スター三波
春夫さんの代表曲です。
三波さんは、7歳で母親を亡くし、お父さんはその寂しさを紛らわそうと幼少
の三波さんに民謡を教えました。
1936年(昭和11年)、家業が傾きその借金を返すために三波さんは13歳から
米屋や魚河岸で丁稚奉公をしながら浪曲を学びます。
21歳で陸軍歩兵として中国へ渡り、終戦後、満州で抑留生活を経て、日本に戻
り苦労を重ね、浪曲師として頭角を現します。
しかし、1954年(昭和29年)に酒井雲坊(村田英雄)に巡り合い、その実力の差
を見せつけられました。
三波さんはその時に、浪曲の世界では天下は取れないことを痛感し、1957年
(昭和32年)、苦労してやっとつかんだ浪曲人生に終止符を打ち、歌謡界に
挑戦したのです。
そして、デビュー曲の「チャンチキおけさ」でいきなり大ヒット。
「歌謡浪曲」という新しい世界を創造し、生涯のシングルレコード販売枚数
2,500万枚という驚異的な数字を残したのです。

安定した地位を捨て、未知なるもの、新しいものに挑戦することは、芸事でも
経営でも、とても不安ですし、誰も賛成しません。社内の反対もあります。
もしかしたら、もう少し浪曲でやっていけるかもしれない。同業者が変わらな
いのだったらこのままでも大丈夫かもしれない等...。変化を否定する心との
戦いです。
三波さんは、その葛藤を乗り越え、ジャンルに囚われず、お客様を楽しませる
「独自の歌藝」に挑戦されていたのです。
1990年代には、「チャンチキおけさ」ラップバージョンを携えて、演歌歌手な
がらジュリアナ東京でもライブを開催したというから驚きです。

出典不明ですが、先人が遺されたメッセージがあります。
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 この道を行けばどうなるものか。危ぶむことなかれ、危ぶめば道はなし。
 踏み出せば、その一歩が道となる。迷わず行けよ。行けばわかる。
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自分の道は、常に自らの決断で選ぶしかありません。
何のために生きているのか?何のために経営しているのか?の根本が定まって
いないと常に迷い続けることになります。

作家の武者小路実篤氏の
「この道より我を生かす道なし。この道を歩く。」という境地に達するビジョ
ンと経営理念があれば、経営の道は一つです。

                         株式会社リゾーム
                          代表取締役 中山博光

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