社長の一言集

第219号「人生に生憎(あいにく)という言葉はない」

2024/09/27

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人生に生憎(あいにく)という言葉はない

                2024年219号
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戦後、陽明学、帝王学に立脚し、多くの政治家や財界人の精神的指導、御意見番として活躍した
有名な人物が、安岡正篤(やすおか まさひろ)師です。
安岡正篤師がよく説いていた物事の見方で「思考の三原則」があります。
それは物事をきちんと見るには「長期的に見る・多面的に見る・根本的に見る」事が大切だという事です。

私もそうですが、凡人はどうしても忙しさにかまけて目先のことに意識が行きがちです。
そして、自分の経験や価値観で、物事を偏った見方で判断してしまいます。
その理由は『ローマ人の物語』(塩野七生著)でカエサルによって述べられています。

「人間ならば、誰にでも現実のすべてが見えるわけではない。
多くの人は見たいと欲する現実しか見ない。」ということです。

今日、日本人の大部分が、日本の将来について、自分たちの会社の未来について、不安を感じながらも、
切羽詰まった危機感は持ってはいません。
その危機は、もう少し先のことだ、自分には関係ない、国が、きっと誰かがなんとかしてくれると
心の何処かで思っているのではないでしょうか。
高齢化社会も、大災害も、日本経済の減速も、食糧自給率も、自分が老いることも、
自分に突き付けられた身近な危機とは思いたくないのです。
当事者になってみなければ、その危機が及ぼす本当の苦しさ、大変さは分かりません。
私も含め「茹で蛙」状態で日々生きているのが実情です。

昔、松下幸之助翁と将棋十五世名人大山康晴氏が将棋対決した話を、ある勉強会でお聞きしました。
松下幸之助氏も将棋は大変好きだったようですが、相手は大山名人です。
みなさんはどちらが勝ったと思いますか?
結果は、松下幸之助翁の勝利だったそうです。
その理由は、難しい局面になると松下幸之助翁が「こういうときはどうしたらいいですかね?」
と大山名人に尋ねたから、その答えを教えているうちに結局、名人が負けてしまったという事です。
松下幸之助翁は、聞くことの名人ですから、分からないことはどんな人にでも素直に聞いたのですね。
これは、思考の三原則を更に超える境地です。
長期的に見る・多面的に見る・根本的に見る、更に分からないことは素直に分かっている人に聞くのが
経営者、人間としての松下幸之助翁の偉大さです。

江戸時代後期につくられた有名な俳句で
「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」は、織田信長。
「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」は、豊臣秀吉。
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」は、徳川家康です。

松下幸之助氏翁は新たに、「鳴かぬなら それもまたよし! ホトトギス」と語っています。
松下幸之助翁の有名な名言(俳句)です。
何事も素直に受け入れる力、適応する力、人を活かす力の持ち主が松下幸之助翁です。


百年時代を、素直に、いきいきと生き抜く書籍が発刊されました。
『人生百年時代の生き方の教科書』 藤尾秀昭監修 致知出版刊より
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物の見方を百八十度変える俳句の力 夏井いつき(俳人)

<五感を常に働かせる>
私たち俳句を詠む人間にとって吟行(ぎんこう:和歌や俳句の題材を求めて出かけること)は日常の一部です。
仲間と一緒のピクニックなどはもちろんですが、例えばタクシーに乗っている時もご飯をつくっている時も、
その気持ちさえあればすべてが吟行です。
目や耳など五感から入ってくる情報でアンテナに触れるものがあれば、すぐに掬(すく)い取って
句帳にメモし、その五感を頭の中で変換し文字に変えていきます。

昔のことですが、吟行をしながら頭の中で言葉をこねくり回していてウンザリしたことがありました。
その時、墓石の隙間に生えるスミレがふと目に留まり、瞬間、ハッとしました。
自分の脳味噌から出てくる言葉は自分以下のものでしかない、スミレや石、風、空のほうが
私の灰色の脳細胞よりも、よっぽど新鮮な情報を持っていることを教えられたのです。
五感を働かせることで、そんな体験をすることも少なくありません。

<「生憎」という言葉はない>
俳人の世界ではよく「生憎(あいにく)という言葉はない」と言われます。
「きょうは生憎の雨で桜を見ることができない」
これは一般の感覚ですが、俳人たちは「これで雨の桜の句を詠める」と考えます。
雲に隠れて中秋の名月が見えない時には「無月(むげつ)を楽しむ」、
雨が降ったら「雨月(うげつ)を楽しむ」と捉えます。
これは日本人ならではの精神であり、俳人の心根にあるものなのかもしれません。
その精神で俳句を続けていくと、個人的な不幸や病気、苦しみ、憎しみなどマイナスの要素のものが、
すべて句材と思えるようになるのです。

私たちの仲間でも、病気や家庭の事情などを抱えながら
頑張って生きている人がたくさんいます。
引きこもっていた人が俳句に出会って外に出歩けるようになったとか、
視覚に障害を得て落ち込んでいた人が元気になったとか、
大切な家族を亡くされた人が俳句仲間に支えられて立ち直ることができたとか、
そういう例は枚挙に遑(いとま)がありません。

それまで何をやってもマイナス思考で、螺旋(らせん)階段をグルグル回りながら
果てしなく下りていくように生きていた人が、
物の見方が全く変わっていきいきとした人生を生きるようになる。
これこそが俳句の力ではないでしょうか。
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俳句の吟行は、人生にも当てはまりそうですね。
人生の味わいのための題材を探して、日々生きる。
喜怒哀楽、七難八苦から、味わいの種を探し出し、掬(すく)い取って頭の中で変換し、
人生の味わいに変えることが出来たらと思います。

私のメルマガで、よく引用させてもらっている故本田宗一郎氏のメッセージがあります。

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悲しみも、喜びも、感動も、落胆も、常に素直に味わうことが大事だ。
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どんな出来事でも素直に味わえる本田氏の人生には、"生憎" という言葉はないのですね。
人生を吟行として生きた本田氏の最高のメッセージです。

株式会社リゾーム
代表取締役 中山博光