社長の一言集

第176号「成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る 糟粕(そうはく)のようなものである」

2021/02/26

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成功や失敗のごときは、
ただ丹精した人の身に残る 糟粕(そうはく)のようなものである
                             2021年176号
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NHKの大河ドラマの「青天を衝け」が始まりました。
主人公は2024年に新1万円札の顔に決まった実業家渋沢栄一です。
明治~大正期に多くの企業・事業を立ち上げ、「日本資本主義の父」といわれています。

月刊誌 致知 2019年12月号 「渋沢栄一の生き方が教えるもの」
対談 作家 竜門冬二氏 × 評論家 守屋淳氏 より抜粋
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生きる上で忘れてはならない真理

竜門 ご存じの通り経済という言葉は経世済民を略したものですが、渋沢栄一の根本には世の中を正して苦しんでいる人を救うのが経済だ、単なる算盤勘定ではないという思いがあったことは確かでしょうね。「論語と算盤」という言葉はまさにそのことで、これは経済人だけではなく人間誰もが持つべき真理のように感じるんです。

守屋 おっしゃる通りだと思います。渋沢は『論語と算盤』の中で「『論語』は最も欠点の少ない書物である」という言い方をしています。見方を変えると『論語』には欠点があると言っているわけですが、一方の算盤に欠点がある事も当然見抜いていました。面白いのは、渋沢はこの二つはお互いの長所でお互いの欠点が消せると考えていた点にあります。

渋沢の「論語と算盤」はもともと中国にある陰陽の思想で、いかに正反対、対極にあるもののバランスを取り、全体を円満にするかという考え方と同じなんですね。おっしゃるように人間が生きて行く上で忘れてはいけない真理と言ってよいと思います。

ところが、いまの時代、発想が極端に走りやすいでしょう?バランスのいい人やバランスのいい考え方が軽視されている。勝ち組、負け組という考え方もその一つで、「負け組は切り捨てろ」という発想では決して物事はうまく進まないし、どこかで必ず行き詰まります。その意味でも私たちはもっと渋沢に学ばなくてはいけないと思うんです。

竜門 渋沢のいう「論語と算盤の一致」というのはいい言葉ですよね。僕は渋沢の考えというのは、このひと言に収斂(しゅうれん)されているとさえ思っています。近江商人の「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)も同じで、やっぱりこんなゴチャゴチャした世の中にあっても、そういう考えを取り戻すことができたら、随分社会も変わる気がしますね。

守屋 渋沢の残した言葉には、いまの時代に通じるものが他にも数多くあります。
例えば「論語と算盤」の次の言葉です。
「成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る糟粕(そうはく)のようなものである」

渋沢はここで成功や失敗は滓(かす)みたいなもので、それまでの努力こそが大事だと言っているわけです。渋沢は成功したからこんなことが言えるんだと思う人がいますが、渋沢は逆境を生きた人なんですね。数々の逆境、試練を跳ね返して生きてきた人が残している言葉だと思えば、味わい深いのではないでしょうか。

また、そういう渋沢の生き方は「わたしのような老人は、こういう時にいささかなりと働いてこそ、生きている申し訳がたつようなものだ」という言葉にも現れていると思います。

これは関東大震災で被災した八十三歳の時の言葉です。渋沢は日本橋にある事務所で被災して飛鳥山の自宅に逃げるのですが、家族から「安全な深谷に逃げましょうか」と聞かれたときに、この言葉を口にするわけです。

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又、このようなエピソードも。

本郷陽二著『渋沢栄一巨人の名語録』PHPビジネス書より
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渋沢が九十一歳のとき、社会事業家の代表が陳情に渋沢邸を訪ねてきた。
第一次世界大戦後の不況で生活に苦しむ者が続出し、全国の慈善団体が運動した結果、生活困窮者のための救護法がつくられたが、予算がないために救護の実施が遅れていたのである。

病床にあった渋沢はその窮状を聞くと、「老いぼれの身ですが、できるだけお役に立ちましょう」と話し、大蔵大臣と内務大臣に「これからうかがうのでよろしく」と電話をかけさせた。
あわてた両大臣は「こちらからうかがいます」と答えたが、渋沢は頼む方がうかがうべきと言って聞かなかった。家族も侍医も止めたものの、渋沢は「もし倒れても、たくさんの人が助かるなら本望」と車に乗って出かけていったという。

よく、「渋沢の家は駆け込み寺のようなもの」と語られているが、人を惹きつけたのは「人のために少しでも役に立ちたい」という、私心のない行動だった。

渋沢の折々の発言を噛みしめてみると、ビジネス社会での「真の成功者」と呼ばれるには、このような「誠意」こそが欠かせないものだと教えられる。
渋沢の言葉や生き方からは、私たちが人生の目標にすべきものが学べるはずである。

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大きな試練の時代に、渋沢栄一の生涯をNHKの大河ドラマ「青天を衝け」で、学べるのは大変ありがたい事だと思います。
是非、政治家、経営者の皆さんの内省と更なる学びの機会になる事を願います。

そして、女性だけでなく、高齢者の皆さんの活躍と社会貢献も日本の課題です。

株式会社リゾーム
代表取締役 中山博光